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概要

OSJ-vol57

InterviewOSJ freestyle express vol.57 10上田瑠偉RUY UEDAプロトレイルランナー写真/Sho Fujimaki取材・文/高橋寿子2014年、21歳の時に出場した国内最高峰の山岳レース「日本山岳耐久レース」で優勝、トレイルランニング界に彗星のごとく現れた若きアスリートは、5年後、山岳ランニング界のワールドカップ「スカイランナー・ワールド・シリーズ」で年間総合優勝を果たし、名実ともに世界一となった。プロトレイルランナー上田瑠偉、「CLOSEUP!アスリートインタビュー」に満を持して登場です。陸上の選手からトレイルランナーへ人生は偶然の連続だ。偶然の出会いがあって、自分では意図していなかった人生が開けることもある。現在26歳の上田瑠偉の場合もそう。もともとサッカー少年だった彼は、山を走るトレイルランニングという競技があるなんて、ちっとも知らなかった。Jリーグが開幕した1993年、サッカーファンの父親がラモス瑠偉選手にあやかって「瑠偉」と名付けた男の子は、物心つくころからサッカーボールを蹴っていた。小学1年でクラブチームに入り、中学ではチームに所属しながら、サッカーの体力づくりのため、陸上部に入部。もともと足が速く、頭角を現していた彼は、ここで駅伝の名門、佐久長聖高校の監督からスカウトされる(ちなみに2年先輩に大迫傑選手がいる)。厳しい寮生活を送りながら陸上の練習に打ち込んだ高校生活は、ケガに泣いた3年間だった。そんな時に出合ったのが『BORN TO RUN走るために生まれた』という本だ。「本屋さんでたまたま手に取ったのですが、この本で初めてトレイルランニングという競技を知りました。といっても、もともとこの本を読んだのは、ケガが多かったから、ランニングに関して何か打開策になるのではないかという理由なだけで、すぐにトレランを始めてみようとは思いませんでしたけど」辛い思い出のほうが多かった高校時代。だから、指定校推薦で入った早稲田大学では競走部ではなく、陸上競技同好会に入った。「自分の中では、ハードな競走部の練習についていけるイメージがなかったし、また同じようにケガをぶり返しても、という思いもあって。だったら自分のペースで走ろうと」同好会は楽しかった。そして、19歳の時に10代最後の思い出づくりとして「第1回柴又100K」ウルトラマラソンに出場する。「いちばん近くて、出られそうな100kmレースって何だろうなと思って選んだのが柴又。記念すべき第1回というのもありましたしね」結果は5位。そして、ここでまた人との出会いによって、彼の人生は一変する。たまたまレースを見に来ていた現在の所属先であるコロンビアスポーツウェアジャパンのスタッフにスカウトされたのだ。これをきっかけに、彼のトレイルランナーとしての人生が始まった。イタリア・リモーネで行われた「スカイマスターズ」にて。上りは上田の得意とするところ。